【徒然小噺】“取れる”育休、“取らせる”責任(2025.7.12)

かつて「男が育休を取るなんて」と笑われていた。だが今や、男性育休は〝取れる権利〟から〝取らせる義務〟に変わりつつある。その背景には、静かな制度改革がある▼2022年の育児・介護休業法改正では、出生直後の「産後パパ育休(出生時育児休業)」が新設され、企業に対し個別周知と意向確認の義務が課された。制度を知らせ、希望を聴くところまでが「法的義務」となったのだ▼とはいえ、現場はそう簡単ではない。2023年の育休取得率は前年比で上昇しているが、依然として8割以上の男性が取得していない。その理由には、「忙しい」「職場に迷惑」「空気が許さない」といった〝無言の圧力〟が潜む▼この〝空気〟が、法的責任に発展した例もある。たとえば2021年、外資系企業で育休申請をした男性が「評価に影響した」として提訴。パタニティー(父性)ハラスメントが争点となった(結果は和解)。制度と実態の乖離は、法廷でも問われている▼近年、男性の長時間労働が子の発達や母体の健康に及ぼす影響も指摘されている。厚労省は2024年度より、男性育休取得を一定割合以上達成した企業を評価し始めた(「両立支援等助成金」見直し)。義務とインセンティブの両輪で、制度を根付かせようとしている▼育休は、子のため、配偶者のため、そして働く自分自身のためである。育児は「手伝う」ものではない。制度が整っても、文化は一朝一夕では変わらない。だからこそ、法は今日も静かに背中を押す。
※実際に受けた質問や相談に関して向き合った諸々を「新聞コラム形式」で綴りました。
※投稿者:山田留理子(特定社労士)