【徒然小噺】退職代行という文化の風景(2025.7.24)

〝退職代行〟という言葉が現れたのは、2017年のこと。LINEひとつで「辞めます」と伝える若手社員の姿は、まるで現代の飛脚。突然の連絡に現場がどよめくのも無理はない▼だが、この奇妙なサービスが広がった背景には、「辞めたい」と口にしたとたんに叱責され、「根性なし」となじられる、そんな職場に染みついた風土がある。直接言えないからこそ、誰かに代わりに伝えてほしいという需要が、退職代行を生んだのだ▼利用者の大半は20代。40代以上は1割未満にすぎない(民間業者統計等)。まだ職場での発言力も弱く、「辞めたいです」のひと言を切り出せない。黙って去るわけではないが、直接伝えるのも難しい。そんな狭間に立つ層の切実な声のかたちでもある▼法的に言えば、退職の確定的意思が使用者に届けば、それだけで退職は成立する。承諾は不要だし、代行伝達も可能。形式的には退職成立に問題はない。本質的な問題は職場の「風土」の側にあるのだ▼退職は、本来労働者に保障された権利のはずだ。それを自由に行使できず、代行という手段に頼らざるを得なかったのはなぜか。その問いを企業も社会も、受け止めるべきではないか。退職代行の流行は、静かな抗議のかたちでもあるのだから▼声なき声に耳を澄まし、退職者を責めず、逃げずに済む職場をつくること。それができたとき、退職代行は「文化」ではなくなる。退職代行は、極限的状況にある誰かの命綱になるために、そっとそこにあればいい。
※実際に受けた質問や相談に関して向き合った諸々を「新聞コラム形式」で綴りました。
※投稿者:山田留理子(特定社労士)