【徒然小噺】自己研鑽か、業務命令か(2025.8.4)

「土日に、自己研鑽として資料をまとめてきてね」。いつもの口調のその一言は命令でも強制でもない。ではこれは、本当に自発的な行動なのだろうか▼労働時間とは「使用者の指揮命令下にある時間」である(労基法施行規則24条の2)。厚労省の通達(昭和63年基発150号)では、黙示の指示であっても労働時間とみなされることがあるとされている。しかし、いま私が直面しているのは法的な是非ではない。この〝なんとなく従う〟風潮が職場の良識となっていることへの違和感だ▼上司は社労士で労務管理に明るい。言葉選びには慎重だ。「君の力を信じているの」という言葉に嘘はないと思うし、成長機会としての価値を感じている。むろん時間外手当が欲しいのではない。ただ、無言で受け入れることで何かがまた積み重なっていく気配を感じるのだ▼通達はこうも記している。「労基法37条の割増賃金制度は、時間外労働を抑制し、所定労働時間内での能率的な業務運営を促すとともに、労働者の健康と福祉の確保を図ることを目的とする」。割増賃金はご褒美ではなく、会社に対する抑止策なのだ▼そして気づく。誰も声を上げなければ、それは伝統となって引き継がれる▼東京高裁平成24年7月11日判決は、自由参加とされた研修であっても、業務上の必要性があれば労働時間と認めた。けれど、職場の文化を変えるのは、判決ではなく日々の選択だ。一度立ち止まって考えることが〝自己研鑽〟ではなかっただろうか。
※実際に受けた質問や相談に関して向き合った諸々を「新聞コラム形式」で綴りました。
※投稿者:山田留理子(特定社労士)